oomi blog

とにかく歩いて目で見て堪能する

ボッチ城series根場城

上田市腰越,東内[こしごえ,ひがしうち]
信濃国小県郡


根場城_Prologue
[ねば]
信濃の丸子城へ縦走の旅。
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高鳥屋城[たかとや]から延びる尾根2kmの東先端に丸子城がある。長~い1本尾根が上田合戦時に城群として機能しうるのか?又はそもそも通行できるか?知りたく候て、実際に歩いてみた。

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城群への口は7ヶ所になり、④~⑦は丸子城に附随するもの。⑤,⑥は麓にあったと云われる屋敷とを繋ぐ道。
最も緩いのは①小屋坂峠の北側方向(南側の腰越からは急)からと④上辰の口になる。

まず最高所の高鳥屋城から急な比高160mを下りると、幅2~5mの尾根が±50m以内でupdownして続く。左右の斜面は崖で、どちらかと言えば南が絶壁、北が急斜面の様相。
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歩いている内に、なんだか既視感がある地形だな~と思ったら、同じ上田市坂城町の境にある峻険な"虚空蔵山系"の山並みだった。案の定..同じ緑色凝灰岩の山で、自然は素直だなーと感じた。
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虚空蔵山系と同じく、丸子城縦走ルートもトレッキングコースとして申し分ないが、下界にある丸子クリーンセンターからの焼却臭が気持ち悪い。風向きによるので、気を付けたいポイント。


根場城_01
高鳥屋城を下り、小屋坂峠を過ぎて比高70mを上がると石積が...
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まさか有るとは、思わず思わず。
切岸の朽ちた斜面も格好いいね。
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小屋坂峠からの尾根の全幅に石積が配される。小さな石なので崩れ易い筈が、多くが現存している。
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岩盤の上に積まれた事と、径の2~3倍の控長をとっていたため残った。周辺の山城の石積で、これほど控えを確保した石積は見た事が無いため、時代が新しいもの..上田合戦の頃と言えるかもしれない。


根場城_02
予想外の石積登場に↗️満足し、上の曲輪へ進む。そこから斜面の上方に見える石は、毎度の板塀礎石?かと思いきや、本曲輪の重厚な石塁であった。
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WSEを囲い北には無い。急なので必要ないのだろう、20cm程の割石で、南側斜面の切岸で出たものか。
居心地が良くて弁当🍙を食ふ。
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本曲輪のNE下に、チョコンとした小さな曲輪があった。東側に刻まれた堀切から斜面を水平移動されるのを防ぐもので、獣道のような細道が残る。
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改めて良く観察すると、東から攻めた場合、ここを通らないと本曲輪に入れない仕組みになっていた。
かなり高度な縄張り、知恵者。


根場城_03
石塁に囲まれた本曲輪の東側、丸子城に尾根が続く。堀切が刻まれるが、堅堀がここだと思われる適所に設けられていた。縄張りのことを深く理解した者によると思われる。
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根場城_04
縄張り
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一言で言うと"堅堀使いが上手い"
尾根方向の東西何れにも配慮した構え。東側は岩盤により深い堀切を諦めたようで、切岸に止め、代わりに本曲輪の虎口を西側に置いた。本曲輪の北側に獣道のような急斜面の道を設けて迂回させる仕組み。
一方の東側は岩,岩,石積の三段構えと堅固で、その手前に蛇行した土橋を置いた。これらの縄張りを成すに随所で堅堀を利用しており、小さい城ながら巧者の姿が浮かぶ。
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丸子城から敵が尾根伝いに来る場合、手前に小山があり根場城から見えないので、物見の曲輪を普請したような形跡がある。一方の小屋坂峠からは①~③の関所的な緩衝となるような小さな曲輪を設けていた。


根場城_05
さて..堀切から堅堀へと続くこの形。手入れがされていないので樹木や落葉で若干ラインが分かり難いが、"高鳥屋城"と見間違う。
堀切から小曲輪通って本曲輪の裏側へ道を設ける手法も同様。同じ頃の同じ巧者による城だと思われる。
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高鳥屋城と根場城の間にある切通し。
"小屋坂峠"である。昭和63年まで使われていたので電柱が建ち、峠の北側に耕作放棄地が点々としていた。
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南側の腰越の斜面は急なため、車はここで引き返していたようだ。トンネルが完成して便利になったものだ。


根場城_06
蛇の土橋
小屋坂峠から丸子城方面へ上って行くと、徐々に普請跡が見え始める。小さな堀切や切岸、出入を見張るような簡素な門跡。
それを抜けると岩盤の主郭部が見えるが、手前に珍しい蛇行状の土橋があった。
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堅堀を千鳥に配置して蛇行させ、石を積んでまで土橋に整えた几帳面さ。
甲府の積翠寺要害(下の写真)以来の技と出会う。
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主郭部の西を守る構え、岩,岩,石積,石塁の四段構えが待つ。今はロープで岩の切岸をよじ上れるようになっているが、普通は上れないので、当時は北の方へ細い道で西曲輪へ追いやり、上から多段射ちし続けたのだと思う。

根場城_07end
本曲輪から東の丸子方面へ下る。その斜面は表土が無い岩盤だが然程急でない。恐らく硬いので堀切は浅くなり、補って岩盤を削った切岸で済ましたのだろう。
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本曲輪の石塁の石材を丹念に見ると、鉄棒のようなもので割った痕跡があった。
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【閑話】
根場城を過ぎ、丸子城へ向けて尾根トレッキングをしていると、途中に立派な石垣があった。
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中間点になる。恐らく麓の一本木諏訪神社に関連した神社跡と思われる。南北から林道がアプローチされていたので、機械を入れて工事をしたのだと思う。
根場城~丸子城の何もない尾根を紹介して終わりにしたい。
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(下の写真は、よいやく丸子城へ着)
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(途中の美しい景色)
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